わたしの記憶の中で、ジャニーズとの出会いはおそらく小3のころの「たのきんトリオ」であり、小5のころには「シブがき隊」。
クラスの女子たちが盛り上がっていたので、なんとなく「たのきんならマッチ」「シブがきならモッくん」とか言ってたけど、夢中になることはなかった小学生時代。(聖子ちゃんになりたくてそっちに夢中)
そんなわたしがジャニーズにどっぷりハマったのは・・・
忘れもしないあの日!
それは中学2年生の「サーティーンボーイ」の第一話放送日。(ググってみたら1985年5月21日だって!え。健ちゃんの誕生日じゃん♡)
ビビビッとわたしのハートは撃ち抜かれ、「この人誰ー♡♡♡」とときめいてしまったわけです。
ヤフオクからお写真いただきました♡このページ、大事に持ってたから懐かしくてー。涙
好き♡好き♡好きすぎる♡♡♡今見てもー!
はぁ。そうなんです。
あの日岡本健一さまを見てから、わたしのジャニヲタ人生がスタートしたのでした。
男組→男闘呼組と名前を変えながらも、まだデビューしていないので、いわゆるジュニアだった健ちゃんを追って、
いや追いたくてもわたしは北海道の余市町という田舎暮らし。
まずはジャニーズファミリークラブが運営する情報局っていう、ハガキでお知らせもらえるものに入会し、テレビで応援することしかできない田舎暮らしを恨みつつ「健ちゃん命」と叫んでおりました。笑笑
ファンレターを週一で書き、お菓子とか、バレンタインには手作りチョコとか(え。そんなの気持ち悪くて食べれないよね。今思うと酷いことしてる。笑笑)まーいろいろジャニーズファミリークラブには送りました。
中でも思い出に残ってるのは修学旅行で中尊寺に行った時に買った縁結びのお守り。
赤を自分用、白を健ちゃんにって送ったの。
そうしたらその数ヶ月後、雑誌でバックの中の持ち物を紹介的な企画にお守りが写ってて。
「これわたしが送ったのかもしれない!!!」と大興奮。
自分用の赤いお守りで同じものか確認しなくちゃ!とバック、引き出し、もーいたるところ探したのにない。。。
えーーーー!わたしいったいどこやった?
神さまは健ちゃんとのご縁をつないでくれたのにーーー!
なくしてなければ健ちゃんと結婚していたのはわたしだったはず。涙涙涙。。。(気持ちはわかるが、それ本当にわたしが送った物だったのか?笑笑)
あと、バター醤油味のポップコーンにハマっていた時は毎週それを段ボールに詰めて送ってたんだけど、それも「最近のお気に入り」として紹介されてて。
わたしが送ったやつー!!!
と興奮してました。(あのお菓子が流行ったのは全国的でしょうよねぇ。おそらく。。。笑笑)
まぁ、そんな幸せな勘違いをしながら余市町で追っかけてたわたしでしたが!
ついに、男闘呼組(デビューはまだだったけど)初のコンサートが東京、大阪、名古屋で開催されることになり、「わたしが行かないで誰が行くのー?」と、親にせがんで初の東京へ。中3ではじめての飛行機。
あれはチェルノブイリ原発のころのGWだったわ。原宿で雨に当たって怯えた記憶。
もうね、コンサートでは初めての生健ちゃんに大興奮して。
「実在するんだぁ。。。」と動いている姿だけで感動して涙したわけです。
そして、次のコンサートは数ヶ月後の冬。
高校受験もそうだけど、コンサートの翌日がいとこの結婚式で。(札幌でね)
親からは絶対にダメと言われたけど、前から4列目、しかも健ちゃん側(男闘呼組はバンドだから場所あまり動かないの)の席が当たっていたのー!そんなの行かないわけがない!
こっそり飛行機とって、少し前に産休代替で来ていた先生がその後千葉に住んでいると聞きつけ、泊めてほしいとお願い。(今振り返るとかなりずうずうしい)
当日「必ず結婚式には間に合って帰ります。行かなかったら一生後悔するから。」と置き手紙をして雪降る中始発電車に乗り込み東京まで。
健ちゃんのために生き、健ちゃんのために愛を叫び、健ちゃんのために死ぬ。(もちろん死んでませんけど)
そんな中学時代を過ごし高校生になってしばらくして男闘呼組デビュー!
嬉しいような悲しいような。切ないのね。
わたしの健ちゃんがみんなに知れ渡っていくことが。
ファンが増えると同時にアンチも増える。
男子たちはジャニーズなんてってバカにする。
泣いて歯向かったりもしたわ!愛だねぇ。笑笑
そうは言っても中高と華やぐ時期ですので、普通に現実では恋愛もし(そのせいかはわからないけどー)、
健ちゃん命→健ちゃん大好き→健ちゃんかっこいい・・・とゆるやかに興奮は落ち着いていき社会人になる頃にはファン卒業しておりました。(せっかく上京したのに)
と、ここで終われないのが一度ジャニーズ沼にハマった者のさだめ!
またまた突然目覚めるわけです。。。
あ。現在の健ちゃんが相変わらず美しいので♡
ジャニーズネットよりお借りいたしました♡
はぁーーー好きっ♡